《 時 事 論 考 》
〔2001年4月〕
若者に健全な未来を
最近、話を聴かない若者達が話題になっています。
しかし、経験の相違などで、大人の話を理解できないのが、普通の若者像ではないでしょうか。
私自身の若い頃は、スピーチ程度の内容は丸覚えする位の集中力で聴いていました。
しかしながら、歳月を経てみると、どんなに地位や肩書きのある人の話でも、何故か覚えていないのです。
裏返して言えば、話し手が心の琴線に触れ、感銘を受ける話をしていないとも言えるでしょう。
人は、師と仰ぐ人の生き様や言葉や信条に感動し、影響されながら成長してゆきます。
身近な師は両親であり、学校の先生でしょう。
極論ではありますが、非常識という単語は、若者のために在るのかも知れません。
幕末の維新の志士達は、当時にしては非常識な人達であったかもしれないし、学生運動の世代は、傍目には非常識そのものでもあったようにも思えます。
暴力や非社会的な行動は許されませんが、若者の行動パワー全てを否定してはならないと思います。
大人を含め、今、若者は何を求め、何を師と仰ぐか解らないまま、さまよっている状態ではないでしょうか。
社会の行動規範が希薄になっている現在、もう一度原点に戻って、人生の意味と目的を見据えるべき時が来ているのではないかと感じています。